ありがとう、おじいちゃん
2月10日、おじいちゃんが亡くなった。
おじいちゃんは肝臓ガンだった。
肝炎からガンになって、それはそれは長い闘病生活だった。
とはいうものの入院したのは1月の頭。
それまでは定期的な通院で日常生活は共に過ごしていた。
私は生まれてからずっと祖父と同じ屋根の下で暮らしていた。
家を出ることもなく、今までずっと実家暮らしの私は、いろいろと祖父と衝突することもあったし腹立つことも腹立たせることもたくさんあった。
専門学校を中退した時は特にひどかった。
私に直接は言わず両親を責める祖父に腹が立った。だけど何もできなかった。結局何もできないままそのまま過ごし、職に就き、また学問の道へも歩んでいる。
デブだデブだと罵られた時もあった。確かにデブだった。あまりにも毎日言うもんだから腹が立った。そのあと一念発起して痩せたら痩せすぎだと心配されたこともあった。
ああだこうだとうるさかった。やることなすこと全てに腹が立った。
だけど、楽しい思い出もたくさんあった。
いろんなところに連れて行ってもらった。一緒に遊んだ。一緒に歌ったり踊ったりもした。一回だけだけど、吹奏楽の発表会も見に来てくれた。照れ臭かったけどうれしかった。
専門やめてバイト生活の時は、毎日一緒に犬の散歩に行った。暑い日も寒い日も天気の悪い日も。雨合羽着て。
私が犬のリード持って、祖父が犬のエチケット袋持って。
祖父は歩くのが好きだった。
犬の用足しを待たずにどんどん進んで行って、呼びかけても耳が遠いから聞こえなくて、100メートル離れたくらいでやっと気付いて戻ってきたり、散々な散歩だった。
いつだろう、私一人で犬の散歩をするようになったのは。
いつだっけ、最後におじいちゃんと一緒に散歩に行ったのは。
だんだん体がやせ細って、それでも腹筋運動したり昇降運動したりしてるから元気なんだかそうじゃないんだかよくわからなかった。
去年の年末あたりからすごく調子が悪そうだった。
年明け、車の免許更新に付き合った。
たまたま私が仕事半休だったから免許センターに一緒に行って(休みを邪魔されてすごくイライラしていたけど)。その時もう足元もふらふらだった。けどちゃんと写真も撮って視力検査もして新しい免許もらってきた。
そのあとすぐに入院してそのまま。
最初はまた家に帰ってくると思ってた。だけどおじいちゃんは覚悟を決めていて、すでに母といろいろ段取りをしていた。
入院して1週間ぐらいした後、初めてお見舞いに行ったときすでに家にいたころとは全然違う様子だった。だけど話はまだ的を得ていたかな。
そのあと弟と母といったときはもう何話しているかよくわからなかった。
2月8日、スクーリングが終わって今日こそゆっくり寝ようと思いながら、入浴していたら自宅の電話が鳴った。自宅の電話は滅多にならない。病院からだった。「血圧が下がってきたので、個室に移動します」と。この時0時前くらい。その2時間後、また電話があった。「心臓も弱くなってきています」と。両親と午前2時に病院へ行った。
もう私のしっているおじいちゃんの姿じゃなかった。
すごく苦しそうでつらそうだった。
意識も全くないけど、一瞬目が開いた。一瞬だけ目があった気がした。
そのあと妹と弟が帰ってきて翌日の10日の朝に息を引き取った。
私は死に目には会えなかった。
病室に入ったときは既に看護士さんがチューブを外していて、静かな病室だった。母が最期をみとった。母は一人娘だから、おじいちゃんもそれで幸せだったと思う。
はじめてのおそうしき、はじめての火葬場。
いろんなはじめてを過ごして二週間くらいたった今。
もっとめんどくさがらないでおじいちゃんと話せばよかった。
夕方には終わる仕事について、一緒に夕飯食べていればよかった。
免許更新終わって「そばたべにいこう」って言われたの断らなきゃよかった。
入院当日、ちゃんと送ってあげればよかった。
意識がある時もっと会えばよかった。
学校やめなきゃよかった。
後悔ばかりでどうしようもない。
情けない孫でごめんなさい。
きっと今も私に対して怒っていることあるんだろうな。
早く寝ろとか、朝ちゃんと起きろとか、休みだからっていつまで寝てるんだ、とか。
おじいちゃんありがとう。またね。